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TOP> 川崎区> 川崎市の産業遺産> 味の素(株)
 
■味の素(株)川崎工場

 住所 〒210-8680 川崎市川崎区鈴木町1-1
 TEL 044-222-1114

  交通案内: 電車:京浜急行大師線「鈴木町駅」、徒歩1分
  入館料: 無料
  休館日: 土・日・祝日・年末(7月中旬から8月上旬は工場内のメンテナンス作業のため一時中止)
  開館時間: 午前の部 9:00または9:30〜、午後の部 1:00または1:30〜
        見学時間は約2時間
  見学条件: 見学日の3週間前までに電話予約
「味の素」類似品・類似品調査書類    (2009-10-7 - 530 Clicks)

味の素が世に出てから10年ほど経ち、世間での認知度も高まると、「味の王」「食の元」「味の都」「味乃素」「味の光」「味の力」などと銘打った類似品、模倣品が出回りはじめ、大正15年には35銘柄を数えたといいます。

当時、味の素は大正12年に特許権の期限切れの問題を抱えていましたが、6年間の期間延長許可を得るのと並行して、これらの類似品メーカーを特許権侵害で訴え、開発者としての権利の保全と確立に努めました。

その当時の調査書類です。

なお、昭和17年大審院で味の素の特許の有効性が確定しました。
 
焼印・活字印・社名美人マーク活字印    (2009-10-7 - 514 Clicks)

焼印は、大正末期から昭和初期にかけて使われた「味の素」ロゴの鉄製焼きゴテです。

「味の素」の名前は当初池田博士により「味精」と名付けていましたが、当時アルコールを「酒精」、サッカリンを「甘精」、デキストリンを「糊精」と呼んでいたので、「味精」では薬品を連想させるということで新たな商品名を検討し「味の素」という名前になりました。

活字印は、鈴木商店の社名印です。

「味の素」の製造にあたってそれまでヨード事業の時の社名「鈴木製薬所」から「鈴木商店」と改名しました。

実態は鈴木家の事業に変わりはなかったのですが、「味の素」事業を「味精部」、ヨード事業を「製薬部」と呼んでいました。

社名美人マーク活字印は、社名と美人マークの入った社名印です。

「美人印商標」の登録は明治41年11月17日でした。

美人印は東京新富町の芸者をモデルに描いたもので、割烹着に「味の素」の字を配したものでした。

芸者は、テレビもなく、映画もまだ盛んになる前の当時の社会において、その土地の人気の的でした。
 
宮内省出入りの門鑑(クナイショウデイリノモンカン)    (2009-10-7 - 529 Clicks)

宮内省出入りの門鑑は木製手形で、昭和初期の通行許可制度でした。

初めて皇族の工場視察があったのは大正15年(1926)5月13日で、昭和2年(1927)4月11日に「味の素」は宮内省のお買上品に指定されました。

このことにより、元旦、紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)の年3回、「味の素」を上納することになりました。
 
進物箱    (2009-10-7 - 532 Clicks)

明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充されました。

発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。

展示されている進物箱は大正初期のもの、大正期のもの、昭和10年のものの3種類です。
 
抽籤券・開函券(チュウセンケン・カイカンケン)    (2009-10-7 - 520 Clicks)

大正11年(1922)1月から、鈴木商店が始めたものに「開函券制度」がありました。

その目的は、「味の素」の流通経路を全国的に正確に把握しようというものでした。

その方法は「味の素」の瓶入、缶入各種の木箱の表面に、当該年度の初めから順を追った番号を刷り込み、同じ番号を印刷したハガキの開函通知票(券)を木箱の中に入れておくというもので、小売店が、用紙に記入し本舗宛てに返送するというものです。

本舗では台帳に記入し、引換えに抽選券を送り、一定の時期に抽選を行い相当額の報奨金を出すというものでした。

その時の抽籤券と開函券のハガキです。
 
新家庭日誌(レシピ付日記帳)    (2009-10-7 - 521 Clicks)

新家庭日誌は昭和4年と昭和6年の2冊が保存されています。

黒皮目紙装丁の日記帳で、1冊で1年分になっています。

B5サイズで、1日1種のレシピが印刷されています。

当時の日本は、井上緊縮財政のもとで昭和初期以来の不況が続いており、二代目三郎助氏が死去後、忠治氏があとを継いだ昭和6年(1931)も、日本は不景気と失業のなかにありました。

街には「いやじゃありませんか」という自嘲的、ニヒリスティックな言葉が流行していました。
 
消費者向け料理本    (2009-10-7 - 520 Clicks)

明治43年から昭和13年までのいろいろな料理レシピ集各種です。

タイトルは「常識の栞」「小学児童のお弁当」「家庭料理」「四季の料理」「四季の支那料理」「おいしく召しあがれ」などで、当時の新しい料理スタイルを見ることができます。

明治43年刊の「おいしく召上れ」は、「味の素」の経済性や栄養分、それに使用方法を説明したものでした。
 
手帳    (2009-10-7 - 533 Clicks)

昭和2年当時の記念品の手帳です。

この時期の日本は、昭和2年3月に金融恐慌の勃発があり景気は低迷を続けていました。

食生活においても多くの変化が見られるようになりました。

例えば中華料理などが普及し始めたのは昭和に入ってからでした。

現在、横浜の中華街は料理店も多く有名ですが、大正末期までは南京街と呼ばれており、中華料理店はわずか7軒に過ぎなかったということです。
 
味の素定価表    (2009-10-7 - 508 Clicks)

大正時代と昭和時代の味の素の定価表です。

大正時代のものは、赤いおわんの色鮮やかなポスター仕様になっています。

「価格と当時の物価は次のとおりです。]

大正時代

  特大缶12円50銭、白米10kg3円20銭
  大缶6円45銭、味噌1kg24銭
  小缶1円90銭、醤油1.8リットル72銭
  中瓶75銭、かけそば一杯8〜10銭
  小瓶38銭、一級酒1.8リットル1円60銭

昭和時代(昭和13年7月28日付 カッコ内は1ダースの卸値)

  金色缶8円20銭(98円40銭)、白米10kg3円25銭
  大缶3円30銭(37円80銭)、醤油1.8リットル62銭
  中缶1円85銭(20円61銭)、かけそば一杯15銭
  小缶1円(11円16銭)、一級酒1.8リットル2円40銭
 
美人写真    (2009-10-7 - 626 Clicks)

A3判大のカラーポスターです。

「味の素」初代社長は、宣伝をする上で「者がつく人」の重要性に気がついたということです。

「者のつく人」といえば、芸者、役者、医者、新聞記者などがありますが、当時のテレビもなく、映画もまだ盛んになる前の時代において芸者は、その土地で人気の的でした。

「味の素」の「美人印商標」もまたモデルになったのは芸者でした。
 
電車内欄間広告    (2009-10-7 - 240 Clicks)

電車(主に京都などの市街電車)の欄間(天井と窓の間)に掲げられた広告です。

「味の素」の発売から間もない明治末ごろから大正時代にかけて盛んに利用されました。

新聞広告が白黒のモノトーンであるのに対し、欄間広告はカラー印刷で、淡い水彩画風の色使いを中心に季節感、高級感を打ち出そうとしているのが特徴的です。
 
発売当時のチラシ    (2009-10-7 - 245 Clicks)

「味の素」発売当時のチラシです。

「かつをいらず、こぶいらず」のキャッチフレーズで、「味の素は、鰹節や昆布よりも手数がかからず、値段も安く、おいしい。

主成分はタンパク質なので、滋養に富んでいる。

腐敗、変質しないので、旅行家などにも必要品。」などの記述があり、明治41年11月17日に登録された「美人印商標」も入っています。

当時の値段は、大缶4円60銭、小缶2円45銭でした。
 
「味の素」戦後初のCMソング    (2009-10-7 - 239 Clicks)

味の素テーマソング「赤い小箱」収録SPレコード(25cm)です。

作詞は藤浦洸氏、作曲は馬渡誠一氏、唄は中村メイコとダークダックスで、演奏はブルーコーツです。

表裏両面に味の素のタイトルが印刷されています。
 
「味の素」CMソング    (2009-10-7 - 241 Clicks)

このCMソング「味の素音頭」は、戦前に作成されたものです。

25cmSPシェラック盤、日本エヂソンレコード株式会社調整と印刷された紙袋があり、収録曲の表は「味の素音頭」で、唄は藤丸で、裏は「味の素行進曲」で、唄は味喜夫、素子となっています。

味の素音頭振付の解説(写真および説明文)が付属しているものです。
 
進物箱店頭販促用ポスター    (2009-10-7 - 237 Clicks)

昭和10年の贈答用化粧箱入り新製品のお中元用販売促進用ポスターです。

明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。

明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。
 
進物箱用ポスター    (2009-10-7 - 248 Clicks)

このポスターは昭和10年頃の贈答用化粧箱入り製品の販売促進用消費者向けポスターです。

明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。

明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。
 
戦後第1号ポスター    (2009-10-7 - 236 Clicks)

このポスターは昭和25年頃の戦後第1号のポスターで、モデルは津島恵子さんでした。

戦後の宣伝広告は「味の素」が輸出が始まったのに対応して、まず海外向けの広告からスタートしました。

国内向けの広告は昭和24年11月の家庭希望配給のとき有力一般誌と東京、大阪の業界紙に掲載されたのが戦後最初で、自由販売になってからは全国の有力紙に月決めで出稿するようになりました。

戦後新たに広告媒体として登場したものに電波がありました。

昭和26年9月に民間放送が開始されたのを機に「味の素」もこの時から番組を提供するようになっていきました。
 
中国向けポスター    (2009-10-7 - 233 Clicks)

大正初期に始まった中国市場開拓に使われたポスターです。

中国での販売は大正3年ごろ開始され、同7年上海出張所を開設して本格的な市場開拓に乗り出しました。

南京、蘇州、杭州などに特約店を配置、また、上海の大卒者を採用してさらに奥地の重慶、雲南にまで派遣しました。

こうした努力により味の素は老牌「鈴木味の素」として中国人大衆の間に浸透し、「仁丹」と並んで日本の代表的商品として知られるようになりました。
 
大正期のポスター    (2009-10-7 - 245 Clicks)

商品の外観をストレートに打ち出した大正期のポスターです。

女性が割烹着を着ている図柄は、「美人印」といわれる味の素の登録商標(明治41年登録)で、新富町の芸者をモデルにしたと伝えられています。

昭和48年まで使われていました。
 
発売当時のPOP    (2009-10-7 - 240 Clicks)

明治43年(1910)の発売当時の店頭広告用POPです。

缶入り、瓶入り2種類の商品外観の図柄と合わせて、右上にピエロを象った珍しい飾り物を付け、洋風のハイカラさや珍しさを印象付けようとしています。

「味の素」の販売に先立ち食料品の包装について明治屋に相談したところ、包装は赤、黒、黄、群青、金、銀の6色に限るとアドバイスされたということです。

 
味の素漫画広告    (2009-10-7 - 247 Clicks)

昭和3年5月5日付東京日日新聞の広告です。

「うまい物が力をつける」「値を聞いてかみしめる」「たよりをそへて味の素」などのコメントが書かれており、当時の庶民生活が生き生きとマンガに描かれていて楽しい広告になっています。

池田某画伯作となっています。
 
新聞広告    (2009-10-7 - 234 Clicks)

「味の素」の初代社長は、新聞広告に力をいれていました。

明治42年の発売当時「東京朝日新聞」だけ数えても1年間に13回、翌43年になると月3、4回は掲載されていました。

大正6年頃は1ヶ月で合計すると新聞1ページ分くらい、年間で12ページ相当でしたが、11年頃からは掲載紙の種類も大幅に増やしたほか、回数、スペースも増加されたということです。

この広告は右が明治45年、左が大正11年のものです。
 
発売広告第1号(東京朝日新聞)    (2009-10-7 - 252 Clicks)

明治42年5月26日付東京朝日新聞掲載の発売広告第1号で、4段20行でした。

文案、意匠はすべて初代社長の鈴木三郎助氏が考えました。

「理想的調味料」、「食料界の大革新」という白抜きの縦2本の見出しに「理学博士池田菊苗先生発明」という横見出しを立てたもので、美人印の登録商標をカットに使って、「味の素」の性質や特徴を説明していました。
 
販売店向けPR誌    (2009-10-7 - 237 Clicks)

販売店向けPR誌で、定期刊行雑誌「味」です。

サイズ262×190mm、32ページ、1色刷りで、創刊号のみ表紙2色刷りになっています。

こうした定期刊行のPR誌や宣伝パンフレットを発行し、「味の素」は戦前から広告・宣伝に力を入れてきました。

戦争により発行できなくなっていたPR誌「味」も昭和34年11月に復刊されました。

展示されているものは戦前のものです。
 
消費者向けハガキ    (2009-10-7 - 255 Clicks)

「味の素美人画」は当時至るところに、宣伝素材としてロゴマークのように使われていました。

これはハガキとして印刷されたもの2点で、浮世絵風のデザインのもので4色刷です。
 
「味の素」発売案内状(ハガキ)    (2009-10-7 - 233 Clicks)

明治42年に「味の素」発売にあたり、「味の素」をそのまま売るのは包装費や広告費にコストがかかっている上、問屋や小売店の手数料が加わるので高く、原料用には不向きであった為に作られたのが「醤素」でした。

大口需要家の開拓を目的に、「醤油界の大福音」とするハガキを醤油醸造家あてに出しました。

「理学博士池田菊苗先生発明」や「専売特許14805号」という記述が入っています。 
 
エスサン澱粉看板(エスサンデンプンカンバン)    (2009-10-7 - 256 Clicks)

「エスサン」は鈴木商店のS(エス)と社長・三郎助の三(サン)からとった登録商標です。

でん粉は味の素の副生品であり、原料の小麦粉をたんぱく質(麩質)とでん粉に分解する最初の粗製工程で取り出されます。

綿布など織布の糊付け用として大正初年から主に紡績業界向けに販売していました。
 
統制時代の味の素販売所看板    (2009-10-7 - 243 Clicks)

昭和13年国家総動員法発令後、さまざまな生活関連物資の販売が制限され、割当制、切符制などによって国家の統制下に置かれるようになりました。

味の素(グルタミン酸ソーダ)は14年秋に販売店などの販売実績に応じた割当制に移行したのに続き、16年夏には福岡市を皮切りに切符制も始まりました。

市の発行する購入券と引き換えに味の素を配給するもので、切符は15人に1枚の割合だったということです。

この販売統制は戦後もしばらく維持され、統制解除、自由販売に復したのは昭和25年でした。

この看板には、「家庭配給 味の素荷捌所」とあります。

なお、この間の昭和15年、味の素は不急不要品、奢侈品(ぜいたく品)に分類されたこともあって、小麦粉、大豆などの原料調達が制限される一方、生産についても、輸出・移出を除く生産は廃止し、アミノ酸醤油、肥料等の生産を主とするよう勧告を受けました。
琺瑯看板(ホウロウカンバン)     (2009-10-7 - 258 Clicks)

「お椀マーク」の看板は昭和10年頃の最初の軒吊りホーロー看板です。

「お椀マーク」は明治42年の商標登録以来、現在でも使われているお馴染みのものです。お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、五色看板、矢入り吊り看板など多種類ありました。

中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。

味の素は大正11年に、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。

この看板は昭和期のものです。
 
特約店椴木製看板大    (2009-10-7 - 248 Clicks)

当時特約店だった玉島町の柚ノ木商店のものです。

当時、看板を利用した普及宣伝活動は積極的に行われていて、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。

お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、五色看板、矢入り釣り看板など多種類ありました。

中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。
 
発売当時の看板    (2009-10-7 - 243 Clicks)

発売当時の看板で明治期のものです。

横長のものは、研虎商店から寄贈されたもので、特約店三好寅吉と入っています。

看板には文明的調味料と書いてあり、当時「文明」とは西洋文化を指したということです。

発売当時「味の素」の宣伝方法は多種多様でした。

チンドン屋や新聞広告、パンフレットに看板とたくさんあった宣伝方法の中のひとつでした。

「味の素」の名は明治42年11月8日に特許局に出願され、12月24日に商標登録されました。

当初、池田博士は「味の素」のことを「味精」と名付けていましたが、アルコールを「酒精」、サッカリンを「甘精」、デキストリンを「糊精」と呼んでいたことから「味精」では薬品を連想してしまうということからネーミングが考えられ、最終的に「味の素」という名前になったということです。
 
ヨード製造用石臼(ヨードセイゾウヨウイシウス)    (2009-10-7 - 237 Clicks)

ヨード製造時に、海草のかじめを粉にするときに使用していました。

御影石で出来ていて、明治30年〜明治40年頃に使用されていました。

明治20年頃、大日本製薬会社の技師をしていた村田氏は葉山の海岸に豊富にある「かじめ」に注目して、これを焼いてヨードを作ることを鈴木ナカ氏(「味の素」初代社長の母)に薦めました。

「かじめ」は1メートル半ほどの黄褐色の海草で、当時は肥料に使われるのがせいぜいでしたが、明治20年代からこれを焼いてヨードの原料(ケルプ)を製造することが普及していきました。
 
道明寺甕 (ドウミョウジガメ)    (2009-10-7 - 245 Clicks)

道明寺甕は、愛知県常滑町で作られている常滑焼で塩酸に強く、明治末頃に小麦蛋白の分解に使用していました。

高さ約85センチ、開口部の直径70センチで、土中に埋め込む形で使われていました。

手作りのため品質は不揃いで、焼きが悪かったり、少しでも傷があるものはたちまち壊れてしまい、1日に1個や2個は壊れましたが、品質の良いものは2ヶ月も使えました。

いろいろと試した他の容器に比べ壊れるのが比較的少なかったので、道明寺甕を使うこととし、甕に更に針金や縄を巻き、その上に漆喰を塗って補強していました。
 
食用油・澱粉のラベル    (2009-10-7 - 244 Clicks)

当時の分解法によるグルタミン酸ソーダの製造技術では、「味の素」の約20倍の澱粉が副生されていました。

大正元年9月からこの澱粉を商品化し、主に紡績業界に販売していました。

しかしながら、昭和に入り澱粉販売が不振となり、昭和4年1月に大阪支店が販売したのが配合浮粉でした。

浮粉とは小麦粉からつくられた純良な澱粉、すなわち沈正麩を微粉にしたもので、かまぼこのつなぎ材料として使用されていました。

純正な沈正麩は高価格になるため、これに甘藷澱粉を加えた配合浮粉を「金玲浮粉」「銀玲浮粉」として従来の「エスサン浮粉」と合わせて3種類を販売していました。

また、味の素は原料転換に伴う関係会社の設立として、脱脂大豆の一部を自給するために宝製油株式会社を昭和10年3月に資本金50万円で鈴木三郎助氏を社長に設立しました。

その当時の澱粉のラベル2種類と食用油のラベル1種類が展示されています。

戦前の食卓瓶    (2009-10-7 - 239 Clicks)

昭和6年の食卓瓶です。

昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶(50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、 10銭瓶(6.5g)、食卓容器(35g)でした。

「味の素」戦後商品    (2009-10-7 - 252 Clicks)

昭和25年から30年にかけて発売された「味の素」商品です。

「味の素」と「ハイミー」の16種20点が展示されています。

昔からの缶詰めや瓶詰めのほかに、当時新しく出たパック詰も展示されており、同封されている使用説明書1部も展示されています。

昭和25年(1950)8月の自由販売再開当初の「味の素」は、15g小瓶、50gボール缶、500g丸缶の3種でした。

品種は増えて戦前なみになりましたが、販売の主力は家庭用小包装品でした。中でもヒット商品は、昭和26年11月に発売された30g入りのふりかけ式食卓瓶でした。
戦前の味の素    (2009-10-7 - 247 Clicks)

戦前の「味の素」の保存品です。

すべて未開封状態で、壜詰6本、紙箱入り(缶詰)6点、缶詰5点の計17点が展示されています。

昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶 (50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、10銭瓶(6.5g)、食卓容器 (35g)でした。

なお、10銭瓶は、景品用や購買力の低い地方での需要創造など新規市場の開拓のために作られたものでした。
 
池田博士研究資料    (2009-10-7 - 264 Clicks)

明治41年の池田博士の研究資料で大小の瓶13点とノート2点が展示されています。

東京大学理学部所蔵のものです。

池田博士は特許を取得する前年春に、約10貫目(33kg)の昆布から浸出液を造り、「うま味」を分離しようとしましたが良い結果を得ることができませんでした。

しかし明治41年に三宅秀氏の「食物と消化」と題する講演記録を参考に実験した結果、短期間で「うま味」の分離に成功しました。
 
第1号グルタミン酸    (2009-10-7 - 236 Clicks)

明治41年、科学者の池田菊苗氏は昆布に含まれているアミノ酸のひとつであるグルタミン酸の抽出に成功し、おいしさを生む「うま味」の素であることを発見しました。

今では知られるこの「うま味」は甘、酸、鹹(鹹は「かん」と読み、からい、しおからいの意味です)、苦、この4つの味と並ぶ成分です。

その時のグルタミン酸です。

ビンのラベルは「具留多味酸」と当て字になっています。

また池田氏はこれを「味精」と名づけましたが、薬品を連想させるなどの理由から、「味の素」に変えたとされています。

「味の素」の生産に当たっては、原料は昆布ではなく、小麦粉を使いました。
 
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