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TOP> 高津区> 歴史など
 
沿革    (2009-9-30 - 416 Clicks)
 
近代

1889年(明治22)
 8村が合併して橘樹郡高津村が成立。(溝口村、二子村、久地村、下作延村、久本村、諏訪河原村、北見方村、坂戸村)
 また、7村が合併して同郡橘村が成立し(千歳村、新作村、子母口村、末長村、久末村、明津村、蟹ヶ谷村)、現在の高津区の南西部(橘地区)に。
この他、野川村が宮前村に、上作延村が向丘村にそれぞれ編入され、現在はその一部が高津区になっている。

1912年(明治45)
 東京府との境界が整理され、多摩川以南の地域(宇奈根、瀬田の各一部および下野毛のほぼ全域)が編入される一方、以北の地域(久地、二子、諏訪河原の各一部)が離脱する。

1925年(大正14)
 東京府荏原郡玉川村(現世田谷区)と高津村の間に二子橋が架かり、二子の渡しが廃止される。

1927年(昭和 2)
 南武鉄道南武線(現JR南武線)川崎駅−登戸駅間が開業し、高津村が川崎市と鉄道で連絡される。以後、工場進出が本格化する。

1927年(昭和 2)
  玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)が二子玉川園駅から溝ノ口駅まで延伸される。軌道線で、多摩川は二子橋を道路と共用して渡る。

1928年(昭和 3)
 高津村が町制を施行する。

1937年(昭和12)
 4月1日に高津町、6月1日に橘村が相次いで川崎市に編入される。

1938年(昭和13)
 現在の高津区域の全域が川崎市に編入される。

現代

1953年(昭和28)
 東急電鉄の五島慶太会長が城西南地区開発構想を発表。
1962年(昭和37) 多摩田園都市の最初の区画整理事業が野川第一地区で完成。以後、南部丘陵地帯では東急グループ主導の住宅開発が進行する。

1965年(昭和40)
 第三京浜が開通する。

1966年(昭和41)
  東急田園都市線溝の口駅−長津田駅間が開業。同時に二子橋の軌道・道路併用利用が終了し、道路専用橋になる。

1972年(昭和47)
  川崎市の政令指定都市移行に伴い、高津区(現宮前区の区域を含む)が発足する。
1977年(昭和52)
 東急新玉川線(現東急田園都市線の一部)の開通により、渋谷と直結される。 以後、地下鉄半蔵門線の延長に伴い都心部へのアクセスが向上する。

1979年(昭和54)
 政令指定都市移行を記念した川崎市民プラザが開館する。

1982年(昭和57)
 区の南西部地域が宮前区へと分区される。

1989年(平成元)
 かながわサイエンスパークが開業する。

1997年(平成 9)
 溝口駅北口再開発ビルが開業し、市民館が新装される。この他、高津区役所などの各種公共施設も移転している。

※ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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