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「味の素」類似品・類似品調査書類    (2009-10-7 - 543 Clicks)

味の素が世に出てから10年ほど経ち、世間での認知度も高まると、「味の王」「食の元」「味の都」「味乃素」「味の光」「味の力」などと銘打った類似品、模倣品が出回りはじめ、大正15年には35銘柄を数えたといいます。

当時、味の素は大正12年に特許権の期限切れの問題を抱えていましたが、6年間の期間延長許可を得るのと並行して、これらの類似品メーカーを特許権侵害で訴え、開発者としての権利の保全と確立に努めました。

その当時の調査書類です。

なお、昭和17年大審院で味の素の特許の有効性が確定しました。
 
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焼印・活字印・社名美人マーク活字印    (2009-10-7 - 529 Clicks)

焼印は、大正末期から昭和初期にかけて使われた「味の素」ロゴの鉄製焼きゴテです。

「味の素」の名前は当初池田博士により「味精」と名付けていましたが、当時アルコールを「酒精」、サッカリンを「甘精」、デキストリンを「糊精」と呼んでいたので、「味精」では薬品を連想させるということで新たな商品名を検討し「味の素」という名前になりました。

活字印は、鈴木商店の社名印です。

「味の素」の製造にあたってそれまでヨード事業の時の社名「鈴木製薬所」から「鈴木商店」と改名しました。

実態は鈴木家の事業に変わりはなかったのですが、「味の素」事業を「味精部」、ヨード事業を「製薬部」と呼んでいました。

社名美人マーク活字印は、社名と美人マークの入った社名印です。

「美人印商標」の登録は明治41年11月17日でした。

美人印は東京新富町の芸者をモデルに描いたもので、割烹着に「味の素」の字を配したものでした。

芸者は、テレビもなく、映画もまだ盛んになる前の当時の社会において、その土地の人気の的でした。
 
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宮内省出入りの門鑑(クナイショウデイリノモンカン)    (2009-10-7 - 547 Clicks)

宮内省出入りの門鑑は木製手形で、昭和初期の通行許可制度でした。

初めて皇族の工場視察があったのは大正15年(1926)5月13日で、昭和2年(1927)4月11日に「味の素」は宮内省のお買上品に指定されました。

このことにより、元旦、紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)の年3回、「味の素」を上納することになりました。
 
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進物箱    (2009-10-7 - 547 Clicks)

明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充されました。

発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。

展示されている進物箱は大正初期のもの、大正期のもの、昭和10年のものの3種類です。
 
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抽籤券・開函券(チュウセンケン・カイカンケン)    (2009-10-7 - 534 Clicks)

大正11年(1922)1月から、鈴木商店が始めたものに「開函券制度」がありました。

その目的は、「味の素」の流通経路を全国的に正確に把握しようというものでした。

その方法は「味の素」の瓶入、缶入各種の木箱の表面に、当該年度の初めから順を追った番号を刷り込み、同じ番号を印刷したハガキの開函通知票(券)を木箱の中に入れておくというもので、小売店が、用紙に記入し本舗宛てに返送するというものです。

本舗では台帳に記入し、引換えに抽選券を送り、一定の時期に抽選を行い相当額の報奨金を出すというものでした。

その時の抽籤券と開函券のハガキです。
 
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新家庭日誌(レシピ付日記帳)    (2009-10-7 - 538 Clicks)

新家庭日誌は昭和4年と昭和6年の2冊が保存されています。

黒皮目紙装丁の日記帳で、1冊で1年分になっています。

B5サイズで、1日1種のレシピが印刷されています。

当時の日本は、井上緊縮財政のもとで昭和初期以来の不況が続いており、二代目三郎助氏が死去後、忠治氏があとを継いだ昭和6年(1931)も、日本は不景気と失業のなかにありました。

街には「いやじゃありませんか」という自嘲的、ニヒリスティックな言葉が流行していました。
 
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消費者向け料理本    (2009-10-7 - 534 Clicks)

明治43年から昭和13年までのいろいろな料理レシピ集各種です。

タイトルは「常識の栞」「小学児童のお弁当」「家庭料理」「四季の料理」「四季の支那料理」「おいしく召しあがれ」などで、当時の新しい料理スタイルを見ることができます。

明治43年刊の「おいしく召上れ」は、「味の素」の経済性や栄養分、それに使用方法を説明したものでした。
 
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手帳    (2009-10-7 - 548 Clicks)

昭和2年当時の記念品の手帳です。

この時期の日本は、昭和2年3月に金融恐慌の勃発があり景気は低迷を続けていました。

食生活においても多くの変化が見られるようになりました。

例えば中華料理などが普及し始めたのは昭和に入ってからでした。

現在、横浜の中華街は料理店も多く有名ですが、大正末期までは南京街と呼ばれており、中華料理店はわずか7軒に過ぎなかったということです。
 
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味の素定価表    (2009-10-7 - 522 Clicks)

大正時代と昭和時代の味の素の定価表です。

大正時代のものは、赤いおわんの色鮮やかなポスター仕様になっています。

「価格と当時の物価は次のとおりです。]

大正時代

  特大缶12円50銭、白米10kg3円20銭
  大缶6円45銭、味噌1kg24銭
  小缶1円90銭、醤油1.8リットル72銭
  中瓶75銭、かけそば一杯8〜10銭
  小瓶38銭、一級酒1.8リットル1円60銭

昭和時代(昭和13年7月28日付 カッコ内は1ダースの卸値)

  金色缶8円20銭(98円40銭)、白米10kg3円25銭
  大缶3円30銭(37円80銭)、醤油1.8リットル62銭
  中缶1円85銭(20円61銭)、かけそば一杯15銭
  小缶1円(11円16銭)、一級酒1.8リットル2円40銭
 
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美人写真    (2009-10-7 - 643 Clicks)

A3判大のカラーポスターです。

「味の素」初代社長は、宣伝をする上で「者がつく人」の重要性に気がついたということです。

「者のつく人」といえば、芸者、役者、医者、新聞記者などがありますが、当時のテレビもなく、映画もまだ盛んになる前の時代において芸者は、その土地で人気の的でした。

「味の素」の「美人印商標」もまたモデルになったのは芸者でした。
 
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